教育と学习の伦理 现在の惯行は、先进自由主义的统治を永続させるものである
教育?学习の伦理的惯行
学生に要求される伦理的训练に関する教师モデルとインストラクター?モデルを比较することにより、1990年代から大学に浸透してきた教育と学习における変化が强调されます。
© 2018 Claire Cheong and Bregham Dalgliesh.
東京大学大学院総合文化研究科のブレガム?ダルグリーシュ(Bregham Dalgliesh)准教授は、大学における教育?学習慣行の伦理が、授業に浸透している先進自由主義的統治を具現化していると論じています。本研究は、教育慣行に対する哲学的批評を展開することにより、近代の技術社会における人間の条件の理解に関する幅広い問題への取組みに役立つと期待されます。
本研究は、今日の大学の基础には、批判的教育学の目的を问う、先进自由主义の急务があると主张しています。歴史的に批判的教育学は、権力と、その権力からの解放のための手段とみなされる知识とを并置することにより、批判的市民を育てることに努めてきました。
本研究は、権力から知识を分离できる可能性を否定しています。フランスの哲学者ミシェル?フーコーが「真理の体制」と名付けた、権力と知识との合流の结果が伦理であると説明しています。坛上の贤人としての従来の教师が、寄り添う导き手として振る舞うインストラクターに取って代わられるアクティブ?ラーニング(能动学习)に焦点を置く最近の教育?学习惯行は、学生と教育者が先进自由主义的统治に基づき期待される行动法への解决策に过ぎないことを示しています。学生の行动におけるこのような変化の无害性は、その伦理的重要性により强调されています。フーコーによる伦理と道徳との区别に従うと、伦理の4つの要素が、いわゆる教育?学习体制上で识别され、配置されています。この要素とは、何に基づき行动するか(知性)という伦理的実体、どのように行动するか(个性化)という伦理的仕事、谁が行动しなければならないか(自律学习者)という主観化様态、そしてなぜ私たちが行动しなければならないのか(进取の気性に富んだ主体)という伦理规范です。
大学教员が现在持っている、かつての教师としてのアイデンティティ(同一性)と、インストラクターとしての现在の役割との间の迷いは、同时に教育?学习体制への抵抗の形态ともなる、学生に対する挑発的な伦理的関係を通じ授业自体で解决が可能であると、本研究は示唆します。さらに、より大局的には、不注意にヘゲモニー(覇権)を创りだす大学侧の共犯、そして个性化のために、より大きな道徳的问题に目をつぶらされてしまう批判的ではない学生を创りだすことによる排除について警告し、このことがいかにグローバリゼーション(グローバル化)を取り込むのかについて注意するよう提案しています。もし无批判なやり方でなされれば、大学は、批判的で独立した探究と、批判的な市民の育成という歴史的な使命と対立するコーポレート?アイデンティティ(公司のもつ特性)を帯びるリスクを负うことになります。
「国际化とは今日、高等教育における决まり文句であるが、そのグローバリゼーションとの関係は、通常见过ごされているか、良くとも同意语として扱われています」とダルグリーシュ准教授は话します。「授业における伦理的な自己形成と、世界的な先进自由主义の文脉とを结びつけると、こうしている间に私たちが冒しているリスクが明らかになります」と続けます。
论文情报
, "The governmentality of teaching and learning: acquiescence or resistance?", Critical Studies in Teaching and Learning Online Edition: 2017/06/26 (Japan time), doi:10.14426/cristal.v5i1.105.
论文へのリンク()

