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东京大学教员の着作を着者自らが语る広场

グレーの表紙に遺物の写真

书籍名

「见える」ものや「见えない」ものをあらわす 东アジアの思想?文物?艺术

着者名

外村 中、稲本 泰生 (編)

判型など

746ページ、叠5判、上製

言语

日本语

発行年月日

2024年3月

ISBN コード

978-4-585-37012-3

出版社

勉诚社

出版社鲍搁尝

学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)

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本書は、ドイツ?ヴュルツブルク大学の外村中氏により、2019年4月から2022年3月まで京都大学人文科学研究所の「人文学諸領域の複合的共同研究国際拠点における共同研究」の一つとして構想、運営された「「見える」ものや「見えない」ものに関わる東アジアの文物や芸术についての学際的研究」の研究会における研究発表の内容について、発表者が改めて論文として執筆し、一冊の書籍にまとめたものである。目次にあるように論文の総数は、25篇。総ページ数は700ページを超える大冊であり、その対象とする分野は、中国思想における儒家、道家、さらに仏教学、考古学、仏教美術史、工芸史、芸能史、芸术文化史等に及ぶ。さらに各論考が扱うテーマは、天、太極、中国医学、陰陽五行、墓制、墓室壁画、霊魂、石窟、仏像、毘盧遮那仏、阿弥陀仏、涅槃図、鏡像、法華経、華厳経、浄土三部経、能楽、神像等、多岐にわたる。
 
「見える」ものと「見えない」ものとの関わりは、筆者の専門とする美術史学における基本的な研究テーマであり、それは主に「見えない」ものをいかに「見える」ようにする (=造形化) かという観点から論じられる。そして「見える」ようにするときに「見えない」もののうち、何が「見える」ようになり、何が「見えない」ままとり残されるのか、という観点を持つことが造形をより詳細に観察し、考察を深める上で重要である。具体的には、「見えないもの」は言葉であったり、個人の脳内にのみあるイメージであったりするだろう。それらが、人の手によって様々な材料、道具、技法を用いて造形化されたとき、造形されることによってその造形は何を得て、何を失うのか、さらにそれは作った人 (画家や彫刻家など) によってどのように異なるのか。また、それは見る人 (本書で扱われる造形をその時代に附置すれば、それは「祈る人」といった方がより正確かもしれない) によっても変化するであろう。ある造形に対峙した時に「彼には感じられたものが、私には感じられない」、逆に「私が感じたものを、彼女は感じなかった」ということは、造形をめぐる感想として往々にして語られるところである。そのような問題意識を持つことが美術を見る楽しさ、考える楽しさを膨らませてくれる。
 
本书は、美术にとどまらない、思想、信仰、医学、文学、演剧など、様々なテーマにおける「见える」ことと「见えない」こととの関係を扱う。本书の元となった研究会は、私にとっては、美术史的なものの见方を相対化し、さらに新たな见方、考え方を提案される贵重な场であった。本书を通じて、繰り返しそのような体験ができることを喜ばすにはいられない。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 教授 増記 隆介 / 2026)

本の目次

序にかえて 外村 中

第一部 祭祀?墓葬と「见える」もの「见えない」もの
 后稷は天に配せられたのか―『诗』大雅「生民」から『孝経』へ 古胜隆一
 汉魏晋墓の神坐と墓主図像―墓のなかの「见えるもの」と「见えないもの」 向井佑介


第二部 尊像の诞生
 西王母像の系谱と像の崇拝 森下章司
 仏像の出現について 内記 理

第叁部 仏菩萨の姿と「时间」「过程」の表象
 南北朝期中国仏教における十地思想の再検討―四果と十地の関係を手がかりに 魏 藝
 莫高窟隋代の弥勒経変相図付近に描かれた二菩萨像 折山桂子
 日本仏教造像史と久远の釈迦 田中健一


第四部 仏身と世界観―卢舎那仏の形と意味
 『大方広仏华厳経』における「ヴァイローチャナ」とその教理的解釈 中西俊英
 盧舎那仏の可視性と立像 船山 徹
 「法界仏像」における诸形象の表象意识―キジル石窟第十七窟両像と敦煌莫高窟第四二八窟像を中心に 高桥早纪子

第五部 音を「见せる」/姿を「留める」
 云冈石窟にあらわされた楽器について 大平理纱
 供養者図像からみる雲岡石窟大型窟の造営 黄 盼

第六部 仏菩萨の顕现する场
 晩年の道宣による天竺中土説の克服―见えないものによる叁宝の住持と见えるものとの感応 仓本尚徳
 鏡像/線刻鏡の考察―図像を見いだす 瀧 朝子
 宋代仏画における清浄华院「阿弥陀叁尊像」の史的位置 

第七部 「见えない」ものを「とらえる」―付会と図解
 太极殿および大极殿をめぐる文学作品四篇訳注 古胜隆一
 见えない天意を见せるもの―正史「五行志」の役割 塚本明日香
 医家と道家と体内観 横手 裕
 道学における周惇頤顕彰と『太極図説』への注目 福谷 彬

第八部 诸教交渉と「见える」もの「见えない」もの
 道家系と儒家系と伊勢神道の「一なる」もの―「一なる」ものは「道」か「気」か 外村 中
 北宋大中祥符年间における舎利荘厳の位相―长干寺阿育王塔の埋纳を中心に 稲本泰生
 涅槃会の変遷と涅槃図―東アジア仏教社会における「忌日」を視点に 西谷 功

第九部 「见える」「见えない」现象の主体/连锁するイメージ
 幽霊能におけるまぼろし―〈幻〉と〈见える―见えない〉の歴史と変迁 重田みち
 神宝より見える、見えない日本の神々の姿 清水 健
 明清絵画にみる文人器玩のあり方 呉 孟晋

あとがき 稲本泰生
执笔者绍介
 

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